ひめゆりの塔だけでなく資料館にも絶対にいくべき!泣いてきました

第二次世界大戦中、日本で唯一の陸上戦があった場所が沖縄です。
当時、学生だった女学校の生徒や教師たちも犠牲になりました。

戦争の悲惨さを伝えるために建てられたのが【ひめゆりの塔】です。

今回はひめゆりの塔だけじゃなく、資料館に行くべき理由なども紹介します。

ひめゆりの塔とはなに?ひめゆり学徒隊って?

ひめゆりの塔は、沖縄県糸満市にある観光名所の一つです。
糸満市を含めた沖縄県の南部は、第二次世界大戦のときに米軍との攻防が激しかった地域だったので戦争関連の資料館などが多く残っています。

そもそも、ひめゆり学徒隊は教養を学ぶということで学校に通っていた男女の学生、学校の教師たちが沖縄決戦のときに駆り出されたものです。

ひめゆりの塔は、ひめゆり学徒隊の遺骨を集め、犠牲や悲惨な戦争体験を忘れないためにも慰霊碑をたてた場所になります。

ひめゆりの塔と資料館は絶対に行って!

ひめゆりの塔は慰霊碑ということで無料になっていますし、観光ツアーの旅程にも組まれていることが多いです。
しかし、絶対に行って欲しいのは【ひめゆりの塔 平和記念資料館】です。

ひめゆり学徒隊が、どんな人たちで結成されていたのか、どれだけ理不尽なことだったのか戦争の歴史を見ることができます。

戦争の資料を展示してある場所って、空襲時の悲惨さとか、原爆投下後の惨さを見せていることが多いんですが、ひめゆり平和記念資料館は違うんです。

戦争前の幸せだった頃、私たちのように普通の学生のように笑いあってた頃の資料から始まって、沖縄が戦争になるかもしれない騒めきも伝えられているんです。

私たちと変わらないような生活をしていたのに、戦場に出なければいけなかった人、自決しなくっちゃいけなかった人。
民間人だったのに、卒業して結婚して、家庭を気づいて・・・。

色んな未来を思ってたのに、叶わなかった人たちの思いを伝えてくれているので、絶対に資料館にも行ってみてください。

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ひめゆりの塔の映画が4度実写化されています

ひめゆり学徒隊について取り上げられた映画があります。
実は4度の映画化をされているんですが、それぞれの作品で伝えていることや伝わってくることが違います。

1953年 ひめゆりの塔
1968年 あゝひめゆり
1982年 ひめゆりの塔
1993年 ひめゆりの塔
1995年 ひめゆりの塔
2007年 ひめゆり

沢口靖子さんが主演されているのが1993年のひめゆりの塔です。
https://www.amazon.co.jp/dp/B00F2ZK06W

あらすじの概要や、予告編はamazonなどでも無料視聴が可能です。

沢口靖子さんが出演されている1993年のひめゆりの塔は、どちらかというとストーリーの流れが分かりやすくなっていて、恐怖や悲惨さは少しマイルドになっています。
沖縄戦争のリアルさや、理不尽さ、湧き出てくるような怒りや不安が知りたいのであれば、1968年の【あゝひめゆり】もおすすめです。

1968年に制作されている【あゝひめゆり】はデジタルリマスター版も出ています。
デジタルリマスター版では吉永小百合さんが主演を務めていました。

本当の思いを知りたいなら2007年の作品

2007年に制作されている【ひめゆり】は、沖縄の監督が撮影した作品です。
テレビ放送やDVDの販売は一切しないと宣言されていて、ひめゆり学徒隊の皆さんや遺族のかたに配慮した形になっています。

ひめゆり学徒隊だった方の家族はもちろん今も生きている、ひめゆり学徒隊の人へインタビューを行った時のテープなども使われています。
沖縄出身の歌手coccoさんからも制作についてコメントが寄せられていたのが印象的でした。

映画館での上映も、自分で申請すれば個人でも上映可能なところがすごいですよね。
http://www.himeyuri.info/howto.html

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ひめゆりの塔事件でも沖縄戦の憎しみが伝わる

ひめゆり学徒隊だけでなく、沖縄決戦のときに民間人も特攻させられたり、ガマと呼ばれる壕に先に避難していた沖縄県民を後から来た軍人さんたちが追い出したこともあります。

第二次世界大戦後の沖縄では、こういった戦争の経験から日本本土の人に対して悪い印象が強かったため起きた事件もあります。

ひめゆりの塔事件は第二次世界大戦後、初めて皇族が沖縄へ訪問したときにおこったゲリラ事件です。

昭仁天皇が皇太子だった頃に起こったテロ事件

ひめゆりの塔事件は、平成の天皇陛下であられた昭仁様が皇太子の頃にありました。
当時の天皇陛下である、裕仁天皇陛下の代わりに第二次世界大戦で唯一の地上戦が行われた場所へ慰労にいったことがきっかけです。

白銀病院に慰労に訪れていた皇太子夫妻に対して、スパナなどを投げて警備車両を破壊していました。
ひめゆりの塔の近くにある壕に潜んでいた犯人たちが、献花にきた皇太子ご夫妻に火炎瓶を投げて逮捕されています。

ひめゆりの塔事件の犯人はいずれも実刑判決の処分がされて、懲役数年ほどで出所しています。

皇族が慰労に来るという情報があった時点で「皇族を沖縄には入れるな!」や「大和人は帰れ!」といった抗議の声があがっていたんです。

これだけ強い意志を向けてしまうのも、強い悲しみや憤りがあったからなんですよね。
どれだけひどい歴史だったのか、沖縄県民のその後の対応でもわかります。

ひめゆりの塔の近くにある資料館に行ってみた

ひめゆり平和記念資料館には、ひめゆり学徒隊について詳細な資料があります。

資料だけじゃなく、ひめゆり学徒隊で活動していた方の実際の手記や避難していたガマ(壕)のジオラマなんかもあります。
どれだけ狭く、危ないところで銃弾の嵐をよけていたのかが分かりますよ。

ひめゆり学徒隊の未来は私たちと同じだったのに

資料館には展示室が第一から第六まであります。
ひめゆり学徒隊の学生さんたちの青春、戦場での気が狂うほどの活動の日々、悲劇が起こる【解散命令】のあとの数日についてなど。

沖縄戦争ではとにかく米軍からの攻撃もですが、日本軍人からの攻撃もありました。

悲惨な場面だけじゃなく、幸せな時の記憶も教えられるからこそ、戦争の悲惨さが浮き彫りになります。
全ての資料が怖いですし、全ての展示室に入ってしまうと生々しい戦争体験に泣いてしまうのは当然でした。

それでも、ひめゆり学徒隊の人たちが生きていたこと、本当に戦争は繰り返してはいけないことを分からせてくれます。

私自身も長崎で育ったので、毎年原爆投下についての教育があり【戦争は怖い】と思ってました。
しかし、沖縄の陸上戦はまた違った怖さなんです。

私たちがこれからも当然歩んでいくと思っていた未来がなくなるかもしれない可能性、理不尽なことを当然のように強いられる状況。
想像もできないですけど、想像してしまうと気持ちが悪くなってくるくらいでした。

ひめゆり学徒隊の人たちは、最後の解散命令がでたあとはアメリカ軍が包囲する沖縄を自分たちの考えで逃げなければいけなかったんです。
牛島司令官が最後までアメリカ軍に降伏することを許さないと命令を出して自決したためなのか、降伏する生徒は少なかったんです。

気が狂う学生はもちろん、映画でも描かれていますが手りゅう弾でグループ自殺をする生徒もいました。

降伏しようとした民間人の中には降伏を許さなかった日本軍人から射殺された学生もいました。
最後までガマへ逃げ込んだ学生や県民たちも、降伏するよう求められても降伏しなかった為に最後はガス弾を打ち込まれて死亡しています。

ひめゆりの塔には駐車場がない!?

ひめゆりの塔には専用駐車場がありません。
しかしひめゆりの塔まで2分とかなり近いお土産屋さんがあります。

ひめゆり会館というんですが、ここの駐車場をお借りしてください。

駐車料金は無料で利用できますし、収容台数がかなり多くて広い駐車スペースがあるのでレンタカーでも安心して駐車できます。

私はひめゆりの塔がいまいちわからなかったので、お土産を購入がてらお邪魔しました。
そしたらサーターアンダギーでおもてなししてもらったり、さんぴん茶をいただくことができました。

お土産の紅芋タルトも購入できましたし、ひめゆりの塔や資料館を見て精神的にも体力的にも、ぐったりする人はここで息抜きしていきましょう。

ひめゆりの塔へのアクセス情報

ひめゆりの塔までのアクセス情報をまとめておきます。

住所:〒901-0344 沖縄県糸満市字字伊原671−1
電話:098-997-2100
駐車場:専用はないが近隣にあり
HP:http://www.himeyuri.or.jp/JP/top.html
営業時間:9時~17時30分
定休日:なし

入場料
大人   310円
高校生  210円
小中学生 110円

地図はこちらになります

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