ひめゆりの塔のガマってなに?防空壕の中はどうなってる?その真実に迫る!

沖縄戦争で避難場所や軍事施設として利用されていた【ガマ】には悲惨な犠牲もあります。
ひめゆり学徒隊も大きく関わっているガマや壕について調べたので紹介します。

ひめゆりの塔で実際のガマや壕について勉強できる

ガマや壕はもともと避難場所だった

ガマとは元々沖縄の言葉で【自然が作り出した洞窟】のことです。
洞窟と防空壕のことを一緒くたにしてガマと書かれてある場合もありますが、実は違います。

 

ちなみに横穴の洞窟のことをガマと呼び、縦穴の洞窟は「アブ」と呼ばれるものなんです。

防空壕とガマの違いもあります。
ガマは鍾乳洞や洞窟などの【自然な穴】。
防空壕や壕は、人の手が入り小部屋を作られていたり、コンクリートで補強されている洞窟です。

 

沖縄戦当初は生活の場としてガマが利用されていましたが、沖縄戦の末期になってくると軍の陣地として使われ始めます。

元々避難していた住民たちは食べ物や物資などを奪われた上、ガマから追い出されていたという証言もあります。

 

後ほど紹介していきますが、ひめゆりの塔近くにある米軍から攻撃を受けた沖縄陸軍病院第三外科壕では、野戦病院として利用されていました。

読谷村にあるチビチリガマでは、近親者による集団自決が行われ戦争の犠牲者が多く出てしまいました。

ガマは特に沖縄南部に多い

沖縄県内には200ほどガマの数が確認されています。
琉球珊瑚礁で作られた沖縄には、雨水で浸食されてできたガマがたくさんあるんですね。

最も多く発見されている地域は、やはり沖縄南部です。

南部には、ひめゆりの塔近くの伊原第三外科壕をはじめ、旧海軍司令部壕や糸数アブチラガマ、轟の壕などのガマがあります。

また、先ほど紹介した集団自決のチビチリガマやシムクガマは、沖縄戦で米軍が始めに上陸してきた北谷、読谷村エリアにあるので少し場所が離れていました。

ガマは全長500mの長いものもある

ガマは入り口から最奥までの距離がながい洞窟(500m)、短い洞窟(250m)いろんな種類があります。

八重瀬岳中腹にあるヌヌマチガマは、全長500m。
旧海軍司令部壕は全長を450mとどちらも長いガマになっているため、 数は1000人を超えていたそうです。

ひめゆりの塔の近くにある伊原第三外科壕は、入口に大きく穴が開いていますが、更に奥に続くような穴が掘り進められています。

また旧海軍司令部壕は細くながい通路のところどころに、作戦に使われていたような小部屋が公開されています。

スポンサーリンク

ひめゆりの塔では防空壕の中や穴の中は死体もあった

ひめゆりの塔で不思議な体験をしたので、心霊スポットとしてのひめゆりの塔についてまとめました。

防空壕の中には負傷者だけじゃなく死体も一緒に生活していた

伊原第三外科壕の中にいたのは、ほとんどが負傷した兵士たちと、ひめゆり学徒隊です。
軍の基地として使われていたため、沖縄の住民たちはほとんどいませんでした。

 

地域住民がいた頃の他のガマでは、高齢の人から小さな赤ん坊までいたんですが、とにかく音を出さないような過酷な生活を強いられていました。

防空壕やガマの中には、亡くなった戦死者の死体を出すこともできずにいたため、腐った死体があちこちにあったそうです。

過酷すぎる生活を送っていた

伊原第三外科壕では、明かりがあるのは入り口付近のみです。
入口から隠れた洞窟の奥のスペースでは、松明などの明かりがないと真っ暗闇になってしまいます。

暗闇の中での生活をしていたので、壕やガマの中では杖を持って歩いていたそうです。
転がっている死体を踏んでしまったり、転んでしまわないような工夫でした。

 

負傷した兵隊たちがほとんどなので、生活に必要な水を汲んだり掃除を行っているのはひめゆり学徒隊です。

もちろん水道などはありませんので、米軍から隠れて水汲みにいっていました。

スポンサーリンク

ひめゆりの塔旧海軍司令部壕は気分が悪くなることもある

ひめゆりの塔の近くにある旧海軍司令部壕は、全長450m中、 全長300mが公開されています。

公開されている部分では、太田少将や海軍幹部たちが自決をした小部屋がありました。

 

お部屋の中には、机や椅子がそのまま残されていたり、手榴弾の跡が生々しく残っていて、とても重苦しい雰囲気です。

狭い通路を進んでいくと、下士官たちが立って睡眠をとっていた部屋もありますが、どう考えても狭苦しい。

入り口からして物々しい雰囲気に飲まれてしまい、入る前に体調を崩す人も多いので無理はしないようにしてくださいね。

ひめゆりの塔第三外科壕は毒ガス攻撃をうけて犠牲者がでた

ひめゆりの塔の左側にぽっかりと大きな口を開けた穴が、伊原第三外科壕跡になります。
ここの壕では、野戦病棟のように怪我人などのお世話をしていた場所です。

 

出入りの方法や、雨が降った時の対処法などは書かれていませんが気になります。

第三外科壕では、解散命令直後の米軍の毒ガス攻撃を受けて100名のうち80名が犠牲者として記録されています。

 

解散命令が出ても負傷して動けなかった兵士や学徒隊の人、それからガマを脱出しようとしていた学徒隊達も巻き込まれ、生存者はほとんどいません。

まとめ

ひめゆりの塔近くにある伊原第三外科壕だけでなく、沖縄のガマと呼ばれる洞窟では沖縄戦争で亡くなられた方たちの霊が眠っていることも多いです。
集団自決で有名なチビチリガマでは遺族の方の強い希望により立ち入りが禁止されているほどです。

 

とても強い念があるため、敬意の心をもって訪れた方が良いですね。

ひめゆりの塔へ観光に行ってみた記事の一覧です。

スポンサーリンク
おすすめの記事