当時の皇太子殿下がひめゆりの塔へ訪れた際に火炎瓶が投げられる事件が起こり美智子様がかばって擦り傷の怪我をされました。
なぜ犯行に至ったのか、犯行を受けた皇太子殿下の対応などについて紹介していきます。
ひめゆりの塔火炎瓶事件では美智子様が、かかんにかばっていた
1975年7月17日に当時皇太子ご夫妻だった平成天皇が沖縄訪問されました。
訪問される一カ月ほど前から慰霊のために回るとされていた、ひめゆりの塔や糸満市内では「皇室はされ!」といった過激な内容の落書きが見られたそうです。
皇太子殿下が沖縄を訪問中に、ひめゆりの塔事件の前に一つ事件がありました。
皇太子の車列が通る、糸満市の沿道の病院(白銀病院)3階から空き瓶やスパナを投げた2人組がいたんです。
こちらは幸いにも車が凹んだなどの物的障害しか被害はなかったそうですよ。
白銀病院には実際に入院手続き(偽装)を行い、該当の病室から スパナや空き瓶などを投げていました。
白銀病院で現行犯逮捕されているメンバーの一人は、川野純次という人で懲役1年6ヶ月で出所しています。
その後、同日ひめゆりの塔を訪れて慰霊の献花をしているんですが、 第三外科壕に潜んでいた二人組(どちらも男性)が皇太子ご夫妻に向かって火炎瓶を投げつけた事件です。
事件が起こった時にとっさに皇太子殿下をかばっているのが、美智子さまというのは驚きませんか?
この時に怪我をされたのが、かばったときに転倒した美智子さまの擦り傷程度の軽いものだったということで安心しました。
二人組は赤いヘルメットと黒いヘルメットの男性二人。
黒いヘルメットが沖縄出身の知念功で、赤いヘルメットは本土の活動家になります。
当時のメディアニュースがYouTubeに残っていました。
ひめゆりの塔事件の犯人も一枚岩ではなかった
ひめゆりの塔事件では、二人一組で犯行に及んでいます。
沖縄県出身者のみで構成されている「沖縄解放同盟準備会」と、本土の共産党系グループのメンバーで構成されていたんです。
火炎瓶事件の犯人である知念さんは、上京先のグループに所属していました。
しかし本土の視点から「沖縄の奪還」を訴える運動方針に違和感を覚えて沖縄出身者のみのグループを作ったという経緯があります。
これまでの経緯でわかるように、沖縄の奪還についてもグループ同士で価値観が違うことがあったんですね。
ひめゆりの塔の犯人は現在も変わらないのか?
ひめゆりの塔事件は皇族を害する。という目的ではなく、式典を妨げる「威嚇行為」として、ひめゆりの塔火炎瓶事件が起こっています。
当初の計画では実行犯たちが服役している間に、 活動を広めていくつもりだったんですが、実際はメンバーたちが徐々に離散し「沖縄県解放同盟準備会」は事実上消滅していました。
ひめゆりの塔事件の犯人である、知念の刑罰は公務執行妨害という比較的軽いものでした。
懲役自体は2年6ヶ月の実刑で終了しています。
ただし、出所してから就職をすると公安警察などがやってきて、職場でいたたまれなくなり退職を余儀なくされたり、実際に弁護士などを目指していた時期もあったようですが精神的に参っていたことが多いようです。
自分自身の生活が苦しかったり、賠償金などが自身の父親に請求されているとしても今でも当時のことは後悔していないと言っています。
ひめゆりの塔事件の皇太子談話から見るお気持ち
当時、皇太子殿下は出発前に「石ぐらい投げられてもいい。そうしたことに恐れず、県民のなかに入っていきたい。」とおっしゃられていました 。
事件が起きてしまったときも皇太子陛下は避難はせず
「これからもこの地に、心を寄せ続けていく」
と表明する談話を発表されました。
実際に言葉だけではなく、平成天皇になられたあとも度々沖縄へ慰霊に訪れています。
また平成天皇は沖縄だけでなく、長崎や広島といった戦争の跡が色濃く残る場所へ慰問される回数がとにかく多かったです。
ひめゆりの塔で皇太子が襲われた事件から見る沖縄県民の複雑な気持ち
沖縄県解放同盟準備会の知念も著書で書いていましたが、両陛下を害する意志があったわけではありません。
実際に火炎瓶が投げつけられたのは、柵とガマの間で両陛下からは遠い場所です。
(投げつけたことは事実ですが)
過激な行動を起こすことによって、沖縄の人たちのメッセージや行き場のない複雑な思いを届けたようとしたのかもしれません。
テレビメディアの記録を見ているとわかりますが、沿道には沖縄県民が歓迎の日本国旗を振っているのも見えますよね。
多くの犠牲を払ったり、味方であるはずの日本軍から虐殺されたりしてしまった無念もあったと思いますが、皇族を全く受け入れないというわけではなかったのではないでしょうか。
まとめ
ひめゆりの塔事件では日本の皇族が害される「テロ事件」ではありませんでした。
実行犯の人たちは生活に苦しい場面もあるかもしれませんが、当時の行動を後悔している様子がない理由として、ひめゆり学徒隊や戦争で犠牲になってしまった彼の無念な思いが「自分たちの行動によって平成天皇へ届いている」という気持ちからではないでしょうか。
ひめゆり学徒隊をはじめとした、犠牲になってしまった人たちの無念な思いを知って欲しかったのかもしれません。
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